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メケオ

Author:メケオ
38歳。家族は妻が一人。ロック、ブラックミュージック、無頼派文学などを好む。尊敬する人物は太宰治と岡本太郎とポールウェラー

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太陽の季節 石原慎太郎
 今回紹介するのは、今では東京都知事として有名な石原慎太郎さんの「太陽の季節」です。この作品が登場したのは昭和三十年頃で、小説の流行と供に「太陽族」と言う言葉も生まれるほど、当時の若者に支持された名作です。

 この小説はおおまかに言うと、ボクシングに熱中しながらも自堕落な生活を送っている主人公竜哉と、最愛の男を事故死で失いそれ以来与えるより奪う事にしか興味のなくなった英子の二人が愛し合い、特別な感情を感じるが、やがて、すれ違って行く様を描いた話です。作中には、酒、博打、喧嘩、女と、その当時の若者の鬱積した退屈に刺激を与えるに充分な要素が含まれていますし、ヨット、ヴィラで過ごす休暇、ホテルでのパーティー、避暑地の別荘など、作中に登場する場面を当時の若者は羨望の眼差しと供に読んでいたのではないかと思います。

 「若者が好き放題している様を描写しただけじゃないか」とか、「救いのないつまらない話だ」などの批判も耳にしますが、私は、けっしてそうは思いません。
 確かに、最後に英子が死んでしまうのは、ちょっときついなーとは思いましたが、自分の思想や世界観はまだ手に入れていないが、既成の道徳や大人達に対して嫌悪感を感じながら、自分の生の実感を不器用に手探りしている竜哉の姿がうまく描けていて、そこにシンパシーを感じてしまいます。
 
 作品の中で、勃起した陰茎を障子に突き立てる場面が有名ですが、私が好きな場面は、いつも体を鍛えている父親に「拳闘の選手、一寸ここを叩いてみろ」と言われ、父親の腹筋を思いきり打ってしまい、はっとするが、少し経った日にスパーリングで顔を腫らし、それを父親に見せて「ほら、今日は滅茶滅茶だったよ」と償いのつもりで言う場面です。この後、竜哉は父親に真顔で心配され、自分の好意を無にされた気がして父親に失望してしまいます。
 もう一つ、英子の葬儀に行って香炉を写真に投げつける場面も印象的です。葬儀場で「貴方達には何もわかりゃしないんだ」と言う竜哉ですが、その後、ジムで「何故貴方は、もっと素直に愛することができないの」と言う英子の言葉を思い出し、夢中でパンチングバックを打ち続けます。竜哉にも、生を実感をしたいと渇望している以外は、何もわからないのです。

 敗戦後十年の当時の日本に、同世代の若者から圧倒的な共感と羨望で迎えられた「太陽の季節」は、なんとか生活して行く毎日から資本主義が確立され安定期に入ろうとしていた当時の日本の多くの若者がなんとなく抱えていた心の飢えと乾きにぴったりと重なり合ったのでしょう。石原慎太郎さんは、自分達の中から登場した同世代の代弁者だったのかもしれません。

 そんな名作「太陽の季節」は新潮社の文庫版「太陽の季節」に収められています。機会があれば、ぜひご一読ください。
 
 
太陽の季節 太陽の季節
石原 慎太郎 (1957/08)
新潮社

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テーマ : 書評
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富嶽百景 太宰治
 「富士の直角、広重の富士は八十五度」から始まる、この「富嶽百景」は太宰治が甲州御坂峠の天下茶屋に滞在した時の事を中心に、師弟関係にあった井伏鱒二氏の事や美知子夫人との再婚までの過程などが描かれています。

 そして、この作品は書かれたのが美知子夫人との再婚後第一作目と言う事もあり、再生への希望と気迫に満ちたほれぼれとする名作に仕上がっています。

 太宰の周りに起こる数々のエピソード、そしてその度に登場する富士山。時に風呂屋のペンキ画のように俗な富士、時に頼もしい大親分のように見える富士、婚約者の後ろに見える富士、月見草と対峙した富士、あいにくの霧で見えない時に茶店の老婆がいつも見える位置に重ねた写真で見る富士などなど・・・出来事と富士の見事な描写が次々と登場し、文章による富士周遊と言った案配です。

 この小説の中では御坂峠の文学碑にも書かれている「富士には、月見草がよく似合う」の一節が特に有名ですが、私が好きな場面は井伏氏と富士に登り、濃い霧の中、岩に腰掛けた井伏氏が「ゆっくり煙草を吸いながら放屁なされた」と言う場面や、富士から降りる前日に東京から来た二人組の女性にシャッターを押してくれと頼まれ、二人組をレンズの中から外し、ただ富士山だけをとらえ、富士山、さようなら、お世話になりました、と撮影し、「はいうつりました」とカメラを渡す場面などです。

 そう言えば、昔、テレビでトヨエツ主演で「太宰治物語」のようなドラマをやった時にも、この「富嶽百景」からの、エピソードがかなり盛り込まれていて、うれしく思った記憶があります。

 言葉の選び方、構成力、そして流れるような文章のテンポ。太宰治の魅力満載の「富嶽百景」。新潮社の「走れメロス」の文庫版などに納められています。機会があればぜひご一読ください。
 

 
走れメロス 走れメロス
太宰 治 (1967/07)
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「シャウト・トゥ・ザ・トップ」 ザ・スタイル・カウンシル
 1982年ザ・ジャムを解散し、ミック・タルボットと言う相棒を得て、新たなる道を歩み始めたポール・ウェラーが結成したザ・スタイル・カウンシル二枚目のアルバム「アワ・フェイバリット・ショップ」に収録されている、この「シャウト・トゥ・ザ・トップ」はザ・スタイル・カウンシルの代表曲と言っても過言ではない名曲です。
 
 ザ・ジャム後期より、顕著に表れていたブラックミュージックへの傾倒、そしてロック離れ。次の活動をオルガン奏者であるミックとのユニットとし、他は流動的なメンバーでシングル中心の活動をして行くと宣言後、次々とシングルをリリースし、自らの音楽を模索して行った過程の中で、できた名曲です。

 この時期のスタカンの曲は、特に名曲と言われるものが多く、未だに一作目のアルバム「カフェ・ブリュ」と二作目の「アワ・フェイバリット・ショップ」をベスト盤に上げるミュージシャンがたくさんいますし、1985年当時、一番オシャレでヒップなスタイルと言われたそのサウンドは、今聞いても充分かっこ良く、色褪せる事はありません。時代と供に風化していない、今の時代でも通用する洗練されたサウンドと言えると思います。

 さて、この曲の魅力ですが、まずこのイントロから完全にノックアウトって感じです。当時、たくさんのアーティストが真似した「チャチャチャッ」のアクセントからして、めちゃくちゃかっこいい。真似したくなる気持ちがわかると言うものです。

 そして、メロディー、てっぺんまで駆け上がれと歌われる歌詞、ポールがロックにうんざりしザ・ジャムを解散した後に出した、一つの答えがここにある気がします。

 モッドとは何か?その精神を考えさせる、疑いようのない名曲「シャウト・トゥ・ザ・トップ」をぜひ聞いてみてください。

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The Style Council (2000/08/14)
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テーマ : 80年代洋楽
ジャンル : 音楽
嗚呼、名曲! ザ・スタイル・カウンシル TB(0) CM(0) 

駆込み訴え 太宰治
 この「駆込み訴え」は、言わずと知れた「新約聖書」の中のキリストとユダをテーマにした話であり、ユダはキリストの十二弟子の中の一人でしたが、キリストを裏切り、銀三十とひきかえにキリストをパリサイ派に引き渡したとされる人物です。

 そのユダがキリストを裏切る場面を、ユダの中にあるキリストとして太宰独特の視点とユーモアで描いた傑作です。

 多くの物語には、所謂「ベビーフェイス」と「ヒール」が存在しますが、このユダは「新約聖書」の中でも「ヒール」と言うには、少し頼りないと言うか、悪役と言い切れない人物です。十二弟子の中でも、多く登場するわけでもなく、最後の晩餐の途中と裏切りの場面に出て来るくらいなので、商人の子であると言う以外は、際立った個性は露出されていません。

 太宰がこのユダを題材にしたのはなぜでしょうか?。私には、太宰がユダに共感するような部分があったのではないかと思えるのです。「名悪役」と言われる存在感もないが、キリストを裏切ることによって後世まで「裏切り者」として君臨してきたユダに同情やシンパシーを感じたのではないかと思うのです。
 聖書をよく読むと、ユダはキリストを裏切った後に、自責の念に駆られお金を捨て、自殺したとする福音書もあります。また、考え方を変えれば、少し強引ですが、聖書の予言通りにキリストが十字架にかけられるようにしたと言う見方もできなくはありません。

 「駆込み訴え」の中では、ユダの裏切りは、キリストへの愛情と憎悪が背中合わせに存在したからこその行為であり、そのユダの語り口は、ユーモラスで哀愁漂うものです。
 
 私の好きな箇所は、やはり冒頭の「申し上げます。申し上げます。旦那さま。あの人は酷い。酷い。はい。厭な奴です。」です。この畳み掛けるような語り口がたまりません。ここまで読んで、次が読みたくならないわけがないと言った感じです。

 それから最後の「銀三十であいつは売られる。私はちっとも泣いてやしない。私はあの人を愛していない。 −−中略−− 銀、三十なんと素晴らしい。いただきましょう。私はけちな商人です。欲しくてならぬ」の箇所です。私にはユダが泣きながら言っているように感じられて、「ああ、強がるなよ。不器用な男、ユダ・・・」と同情してしまいそうになるのです。

 この「駆込み訴え」は、太宰が一気に喋った事を、夫人が書き留めたとの事ですが、短いとは言え、この小説を一気に喋ったと言う太宰は天才としか言いようがありません。聖書がモチーフだけに精霊が舞い降りたのでは?と下手な冗談が出てしまいます。

 そして、実際に私もそうなのですが、この「駆込み訴え」をきっかけに、聖書を読んだ方も多いのではないでしょうか?。
 太宰は聖書を非常に好んでいたそうで、一人で原稿を書くために旅に出る時などにも常に携行していましたし、「聖書の中には宝箱のように、宝石のような言葉がたくさんちりばめられている」と語っていたそうです。

 そんな「駆込み訴え」は新潮社の「走れメロス」の文庫版などに納められています。機会があればぜひご一読ください。

 
走れメロス 走れメロス
太宰 治 (1967/07)
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蹴りたい背中 綿矢りさ
 今回は史上最年少の19歳で芥川賞を受賞して、話題になった綿矢りささんの「蹴りたい背中」です。当時、この受賞はかなりのセンセーションを巻き起こし「蹴りたい背中」はたくさんの人々の手に取られ、賛否両論、物議を醸し出しました。

 主人公ハツは高校生になり、クラスメートに溶け込めずにいた。同じようにクラスのあぶれ者アイドルおたくの「にな川」が授業中に読んでいたファッション雑誌をきっかけに「ハツ」と「にな川」は近づいて行く。同じクラスのあぶれ者ながら正反対な二人。恋愛でも友情でもない、十代の捉えどころのない感情がうまく描かれた見事な傑作です。

 「さびしさは鳴る。耳が痛くなるほど高く澄んだ鈴の音で鳴り響いて」冒頭の文章から、私はどんどん引き込まれて行きました。
 「オオカナダモ?ハッ?っていうこのスタンス。−−中略−−プリントでも千切ってますよ、気怠く。っていうこのスタンス。」「ちょっと死相出てた。ちょっと死相出てた。」などの言い回しが、私には太宰治の「女生徒」を連想させ、なんだか、うれしくなります。

 「この、もの哀しく丸まった、無防備な背中を蹴りたい。痛がるにな川を見たい。・・・」一心不乱にラジオを聞いてるにな川を見てハツが取った意表を突く行動は、何を意味するのでしょう? 性的衝動とも言えるこの行動ですが、性体験のない潔癖な女性が意図するところ無く感じた性的衝動として見ることによって、深みとユーモアが出てくるような気がします。

 クラスになじめず「幼稚な人は嫌い」「人を選んでいる」と言うハツですが、一方ではクラスの相関図は人一倍知っていて、自分対多人数と言う関係を恐れ警戒しています。ハツの自分はクラスになじめないと感じている気持ちは優越感とも言えるし、劣等感でもあるのです。また、にな川に対する感情も軽蔑や心配とともに、美人モデルの「オリチャン」の事しか頭に無く、他の事をまるで気にしていない彼に対する憧れや尊敬が入り混じったものとも言え、その事実が二人の距離感をおもしろいものにしています。
 
 この小説の中で、私の一番好きな場面は最後のベランダでの場面です。この場面を初めて読んだ時には、一緒にその場にいるような気持ちにさえなりました。
 みんなが自分と同じ事を思っていると思いがちな子供時代からみんなが私の事をわかってくれないと感じる思春期への移行、そして葛藤。自分の中から沸き上がって来る乱暴で捉えどころの無い感情をうまく描いた場面だなーと感心したものです。

 例えば、この小説の最後に「にな川」が脱おたくを生き生きとしてしまったり、「ハツ」と「にな川」が恋人になったりしたら、私はさぞガッカリした事でしょう。やはり、この小説の最後にはこの場面がふさわしいと私は思います。

 この「蹴りたい背中」は前述したようにたくさんの人に読まれ、物議を醸し出し、その中にはかなり批判的な意見があったのも事実です。
 例えば、幼稚であるとか、主人公が嫌いとか、わけがわからないなどなど・・・わけがわからないなどの意見は論外として、幼稚だと言う意見には対しては、高校一年生の一人称で書かれている小説と言う意味では幼稚と言うよりはむしろ早熟と言ってもいいのではないかなと思います。「ハツ」の思考自体は大学生と言ってもおかしくありませんし、読者は自分を高校1年当時を振り返って、この小説に向かうとおもしろいかもしれません。

 19才が捉える、鮮度の高い、リアリティーのある16才だから、登場人物が生き生きとしているのでしょう。もっと16才から離れた作者が書くと、「にな川」がもっとこれ見よがしにおたくだったり、「ハツ」はいじめを受けたりするかもしれません。

 緻密に計算された文章、リズム、描写など、どれを取っても感心してしまいますし、何よりも、十代の自分でもコントロールしきれないさまざまなベクトル、捉えようの無い気持ち、がうまく表現されている、この「蹴りたい背中」を機会があれば、ぜひご一読ください。
蹴りたい背中 蹴りたい背中
綿矢 りさ (2007/04/05)
河出書房新社

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「Waiting On A Friend」 ザ・ローリング・ストーンズ
 中学生の時、私にはマイマイ君(仮名)と言う友達がいました。彼は私と同じように洋楽のロックに興味があり、よく二人でロックの話をしたものです。しかし、私達は二年生になるとクラスが離れてしまった事と、私が少し悪の道に走ったこともあり、少し疎遠になっていました。

 二学期の始業式の日、私は始業式が終わると、悪い友達や先輩達と供に、溜まり場になっている先輩の家に行き、煙草を吸ったりしては、悪ぶっていたのです。先輩の家では横浜銀蝿などの所謂不良が好む音楽が大音量でかかっていました。「メケオ、おまえロック好きなんじゃろ?やっぱり銀蝿は最高じゃろーが」などと先輩に言われ、無理して何本も吸う煙草のせいで、頭はがんがんしている私は「最高よー」と嫌々答えたりしました。隣では別の先輩が「ああー、嶋大輔みたいなリーゼントにしたいよー」などと言っていました。

 そして不良ごっこも終わり、帰宅すると、母親が「マイマイ君が来て、あんたの帰りをずっと待ってたよ」と言います。私は煙草の匂いを母親に悟られまいと、少し離れて、母に質問しました。「なんで?待ってたん?」。
 母が言うにはマイマイ君は私の家に来て、私の帰りを待っていたのですが、私が帰って来ないので、これを渡しておいてくれ、これは誕生日プレゼントだ、といってビニール袋を置いて帰ったと言うのです。どうやら、私の誕生日は夏休みの間なので、二学期の始まる今日学校で渡そうとしたのですが会えず、わざわざ私の家に渡しに来たのですが会えなかったので、置いて帰ったと言うことのようでした。

 私は、母からそのビニール袋を受け取り、二階の自分の部屋に上がり、そっと中身を取り出してみました。そこにはザ・ローリング・ストーンズのシングルレコードが入っていたのです。
 ミック・ジャガーとキース・リチャーズの写真が使われたそのジャケットにはタイトルが邦題で「友を待つ」と書かれていました。

 私は、ジーンと感動につつまれました。そして、マイマイ君と久しぶりに「やっぱり、ストーンズ最高じゃろーが」「ロン・ウッドみたいな髪型にしたいよー」とストーンズの話をしたいなーと思ったのでした。

 そんな思い出の「Waiting On A Friend」。ギターリフから最高のムードが漂い、ミック・ジャガーの裏声が重なってきたあたりで、この曲、絶対いい曲確定って感じです。
 メロウな曲ですが、あまりウェットな印象は無く「女を待っているんじゃない、友達を待っているんだ」と歌われるこの曲には、ストーンズのバラード系の曲によくみられる、疲労感みたいなものが希薄で、切ない曲と言うよりは、やさしい曲と言った方がいいかもしれません。この曲が収録されている「Tattoo You」やその後出たライブ盤の「Still Life」の頃の明るいストーンズが反映されている気がしないでもないです。

 ソニー・ロリンズが吹いていると噂されるサックスソロも最高ですし、キースが黒人と肩を組むビデオ・クリップもとても印象的で、大人になってからビデオで何度も見て、酔っては真似したものです。

 ザ・ローリング・ストーンズのアルバム「Tattoo You」収録の「Waiting On A Friend」機会があれば、ぜひ聞いてみてください。
刺青の男 刺青の男
ザ・ローリング・ストーンズ (1999/03/25)
東芝EMI

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夫婦善哉 織田作之助
 「えっー?また読んでるん?」この「夫婦善哉」を読んでいると、いつも妻に、そう言われます。なるほど、確かに、私はこの「夫婦善哉」を何度も何度も繰り返し読んでいるようです。

 しっかり者の新地の売れっ子芸者蝶子が安化粧問屋の若旦那、柳吉と駆落ちをするが、ぼんぼんで甲斐性なしの柳吉は仕事が長続きせず、二人であれこれと商売にも手を出すがそれもうまく行かない。蝶子がヤトナ(臨時雇の有芸仲居)をし、倹約に勤め生活を支えるも、柳吉はカフェーで女給を口説いたり療養先で芸者を上げて騒いだりと言う始末。蝶子の母、お辰の死。柳吉の「前妻との子供への執着や妹が養子をもらってしまった生家への執着」。蝶子の「柳吉の父に二人を認めてもらい子供を引き取って暮らしたい」と言う願い。そして柳吉の父の死。蝶子の自殺未遂と話は続き、有名な法善寺境内の「めをとぜんざい」へ行き「めをとぜんざい」を食べるシーンへと繋がって行きます。

 ここまで書くと、柳吉はやりたい放題の無頼漢、デカダンかと思われそうですが、そんな事はありません。むしろ、吃りで口数は少なく、内弁慶の弱い男と言った印象です。一方、蝶子は芸者時代には声自慢で陽気な座敷には無くてはかなわぬ妓でしたし、同性から好かれ、男性からは妾になれと口説かれたりします。

 小説を好きになる要素として、主人公に惹かれると言う事があると思いますが、私は蝶子と柳吉、一人一人に特別惹かれるか?と問われれば、そこまでではありません。むしろ、蝶子の父、種吉の人間性が登場人物の中では一番好きです。
 しかし、しっかり者で勝気な女である蝶子と、どうしようもない男である柳吉の対象的なコントラスト、絶妙なバランスはとても魅力的に映ります。
 31才の柳吉が20歳の蝶子を「おばはん」と呼んだり、久しぶりに帰ってきた柳吉を蝶子が思う存分折檻したりする、二人の関係の中から織田作之助が拾い上げる、「腐れ縁」とも言えるし、時に「友情の上にある愛情」とも映る、「輝き」に私はとても惹かれているのです。私が何度もこの小説を読んでしまう理由はそこにあるような気がします。

 私の好きな場面は、もちろん「めをとぜんざい」を二人で食べる場面で、この時の二人の会話がやはり大好きです。織田作之助は最後の場面(落語で言うオチのような場所)が思いつくまで、その小説を書き始めなかったと聞いたことがあります。ここに「めをとぜんざい」での会話を書いてしまうと、今から読まれる方がいたら、がっかりしてしまうので書きませんが、やはりこの場面は秀逸です。

 また、作中に枚挙される、たくさんの地名、職業、店名、食べ物などは、その当時の大阪を映し出し、とてもわくわくさせられます。

 太宰治、坂口安吾とともに三大無頼派として語られる、織田作之助の傑作「夫婦善哉」、機会があれば、ぜひご一読ください。
夫婦善哉 夫婦善哉
織田 作之助 (1999/05)
講談社

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いずこへ 坂口安吾
 坂口安吾と言えば、「白痴」や「堕落論」だし、「いずこへ」と言えばチャーリー浜だろ?と言う声が聞こえてきそうですが、私が初めて読んだ安吾の作品と言う事から、まずはこの「いずこへ」と言う作品を取り上げてみたいと思います。

 この作品には、少年時代から落伍者が好きだったと言う主人公と言うか、29才当時の安吾が一人の女を所有してしまい、それによって受ける束縛などへの嫌悪感、葛藤、その女の従妹の女とのめざましい肉欲、醜い十銭スタンドの女との関係などを通して、主人公のただ食って生きているだけではない、最高のものを持つか、何も持たないかと言う貞節を持って生きていると言う自負さえも揺らいでしまうさまが描かれています。

 いずこへ?いずこへ?私はすべてがわからなかった。で締めくくられるこの作品には、淪落、正義、無償の行為などについて迷い悩む、安吾の姿が克明に描き出されています。

 前述の「食べて生きているだけと言う意識が何よりも我慢できない」や「私は最大の豪奢快楽を欲し見つめて生きており多少の豪奢快楽でごまかすこと妥協することを好まないので −中略− 私の見つめている豪奢快楽は地上に在り得ず、歴史的にも在り得ず、ただ私の生活の後側にあるだけだ。背中合せにあるだけだった」など、人間の生き方には何か一つの純潔と貞節の念が大切だ信じながらも、仕事、力への自信が持てずに迷い、淪落に身を任せてしまう安吾の姿には自分に正直に生きる事でかかえてしまう憂鬱が描かれているように思えます。

 そして、この作品で安吾が抱えている悩み。

 それは、自分が誰かに認められないと言うことや、社会的に認められないと言う事への嘆きや感傷ではなく、自分で自分を認めることのできない事への苛立ち、葛藤、もがきだと言う事がなによりも、私に一番大きな感動を与えました。

 新潮社文庫版の「白痴」収録の「いずこへ」機会があれば、ぜひご一読ください。


 
白痴 白痴
坂口 安吾 (1986/12)
新潮社

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