前妻との子供一郎は窃盗をやらかし、次郎は全身麻痺で寝たきり、その下には三人の子供が控え、夫の浮気を知った妻は家出騒ぎを起こす。そんな火宅にありながらも、主人公「桂一郎」は女と酒に溺れては、放蕩、濫費、狂躁を繰り返し、あげくの果てには海外にまで行き遊ぶと言う檀一雄の自伝的小説です。
ここまで書くと主人公「桂一郎」(檀一雄)があたかも極悪人のように思われますが、実際にこの小説を読み進めるとそんな風には思えません。むしろ、自身を解放し悩みながらも、一生懸命にあるがままに生きようとする主人公に感動すらしてしまいます。男なら誰でも憧れてしまう生き方、いや、失礼、誰でもとは言いません、私は大いに憧れました。
小説の中で印象的なシーンはたくさんありますが、中でも一郎が窃盗で捕まり、迎えに行った際の係官との問答が私は大好きです。女と酒に溺れ放蕩を繰り返す父親に向かって係官はお子さんをみすみす破局に突き落とすような環境を変えてあげられませんかと訴えます。それ対して主人公はこう答えます。
「いやー、破局に落ちているのは私です。ただ、私は自分なりの誠実で、せいいっぱいに生きているつもりですから、破局だからと云って、よけるわけにはゆかないのです」
失う事を恐れず、恥をかく事を恐れず、心のままに必死に生きている、いや心のままに生きずにはいられない主人公の姿がとても印象的です。
無頼派作家として知られる檀一雄ですが、親交の深かった太宰治とは対象的な性格のように思えます。なにしろ檀一雄には虚弱やナイーブと言う言葉は似合いませんし、それは泳ぐ事が一番のストレス解消だったと言う事や、料理を食べる事も作る事も大好きで「壇流クッキング」と言う本を出していると言う事実からもみてとれます。太宰が泳いでストレス解消したり「太宰流クッキング」なんて想像できませんもんね。なんでも楽しそうなことには飛びつき、気の向くまま放蕩を続ける豪放な魂、それが檀一雄と言ったところでしょうか。
「チチ帰った?」「うん帰ったよ」「もうドッコも行かん?」「うんドッコも行く」
石神井の家から、青森、浅草、ニューヨーク、ロンドン、パリ、帰国後には九州へ、その後東京でのホテル暮らし。放蕩の旅路は果てなく続きます。
約二十年を費やした檀一雄の自伝的小説「火宅の人」機会があればぜひ一読ください。