「えっー?また読んでるん?」この「夫婦善哉」を読んでいると、いつも妻に、そう言われます。なるほど、確かに、私はこの「夫婦善哉」を何度も何度も繰り返し読んでいるようです。
しっかり者の新地の売れっ子芸者蝶子が安化粧問屋の若旦那、柳吉と駆落ちをするが、ぼんぼんで甲斐性なしの柳吉は仕事が長続きせず、二人であれこれと商売にも手を出すがそれもうまく行かない。蝶子がヤトナ(臨時雇の有芸仲居)をし、倹約に勤め生活を支えるも、柳吉はカフェーで女給を口説いたり療養先で芸者を上げて騒いだりと言う始末。蝶子の母、お辰の死。柳吉の「前妻との子供への執着や妹が養子をもらってしまった生家への執着」。蝶子の「柳吉の父に二人を認めてもらい子供を引き取って暮らしたい」と言う願い。そして柳吉の父の死。蝶子の自殺未遂と話は続き、有名な法善寺境内の「めをとぜんざい」へ行き「めをとぜんざい」を食べるシーンへと繋がって行きます。
ここまで書くと、柳吉はやりたい放題の無頼漢、デカダンかと思われそうですが、そんな事はありません。むしろ、吃りで口数は少なく、内弁慶の弱い男と言った印象です。一方、蝶子は芸者時代には声自慢で陽気な座敷には無くてはかなわぬ妓でしたし、同性から好かれ、男性からは妾になれと口説かれたりします。
小説を好きになる要素として、主人公に惹かれると言う事があると思いますが、私は蝶子と柳吉、一人一人に特別惹かれるか?と問われれば、そこまでではありません。むしろ、蝶子の父、種吉の人間性が登場人物の中では一番好きです。
しかし、しっかり者で勝気な女である蝶子と、どうしようもない男である柳吉の対象的なコントラスト、絶妙なバランスはとても魅力的に映ります。
31才の柳吉が20歳の蝶子を「おばはん」と呼んだり、久しぶりに帰ってきた柳吉を蝶子が思う存分折檻したりする、二人の関係の中から織田作之助が拾い上げる、「腐れ縁」とも言えるし、時に「友情の上にある愛情」とも映る、「輝き」に私はとても惹かれているのです。私が何度もこの小説を読んでしまう理由はそこにあるような気がします。
私の好きな場面は、もちろん「めをとぜんざい」を二人で食べる場面で、この時の二人の会話がやはり大好きです。織田作之助は最後の場面(落語で言うオチのような場所)が思いつくまで、その小説を書き始めなかったと聞いたことがあります。ここに「めをとぜんざい」での会話を書いてしまうと、今から読まれる方がいたら、がっかりしてしまうので書きませんが、やはりこの場面は秀逸です。
また、作中に枚挙される、たくさんの地名、職業、店名、食べ物などは、その当時の大阪を映し出し、とてもわくわくさせられます。
太宰治、坂口安吾とともに三大無頼派として語られる、織田作之助の傑作「夫婦善哉」、機会があれば、ぜひご一読ください。
