坂口安吾と言えば、「白痴」や「堕落論」だし、「いずこへ」と言えばチャーリー浜だろ?と言う声が聞こえてきそうですが、私が初めて読んだ安吾の作品と言う事から、まずはこの「いずこへ」と言う作品を取り上げてみたいと思います。
この作品には、少年時代から落伍者が好きだったと言う主人公と言うか、29才当時の安吾が一人の女を所有してしまい、それによって受ける束縛などへの嫌悪感、葛藤、その女の従妹の女とのめざましい肉欲、醜い十銭スタンドの女との関係などを通して、主人公のただ食って生きているだけではない、最高のものを持つか、何も持たないかと言う貞節を持って生きていると言う自負さえも揺らいでしまうさまが描かれています。
いずこへ?いずこへ?私はすべてがわからなかった。で締めくくられるこの作品には、淪落、正義、無償の行為などについて迷い悩む、安吾の姿が克明に描き出されています。
前述の「食べて生きているだけと言う意識が何よりも我慢できない」や「私は最大の豪奢快楽を欲し見つめて生きており多少の豪奢快楽でごまかすこと妥協することを好まないので −中略− 私の見つめている豪奢快楽は地上に在り得ず、歴史的にも在り得ず、ただ私の生活の後側にあるだけだ。背中合せにあるだけだった」など、人間の生き方には何か一つの純潔と貞節の念が大切だ信じながらも、仕事、力への自信が持てずに迷い、淪落に身を任せてしまう安吾の姿には自分に正直に生きる事でかかえてしまう憂鬱が描かれているように思えます。
そして、この作品で安吾が抱えている悩み。
それは、自分が誰かに認められないと言うことや、社会的に認められないと言う事への嘆きや感傷ではなく、自分で自分を認めることのできない事への苛立ち、葛藤、もがきだと言う事がなによりも、私に一番大きな感動を与えました。
新潮社文庫版の「白痴」収録の「いずこへ」機会があれば、ぜひご一読ください。