プロフィール

メケオ

Author:メケオ
38歳。家族は妻が一人。ロック、ブラックミュージック、無頼派文学などを好む。尊敬する人物は太宰治と岡本太郎とポールウェラー

カテゴリー
最近のコメント
FC2ブログランキング

FC2ブログランキング

FC2カウンター
友達申請フォーム

この人と友達になる

ブログ内検索

トカトントン 太宰治
 「トカトントン」とタイトルを聞いただけだと、なんの事だ?と首をかしげてしまう事と思います。「トカトントン」とは、この小説の中に登場する主人公をいつも悩ませる金槌の音の事なのです。

 そして、この「トカトントン」と言う小説は、復員青年保知勇二郎からの手紙にヒントを得て書かれ、一愛読者からの作家への手紙と言う形を取っています。

 昭和二十年八月十五日に、兵舎の前の広場でラジオ放送を聞き日本の敗戦を知り、死ぬのが本当だと思い、死のうと思った瞬間に「トカトントン」。それを聞いた途端に白々しい気持ちになった。その後小説を書き、もうすぐ完成と言うところで「トカトントン」。郵便局で一生懸命働いていると「トカトントン」。恋をし、最初のデートで「トカトントン」。労働者のデモ行進を見て感動するが「トカトントン」・・・その金槌の音がなるたびに、なんともはかないばかばかしい気持ちになると言った案配で、「いったいあの音はなんでせう?。この音から逃れるにはどうしたらよいのでせう?」と言った問いかけが作家に出した手紙には綴られています。

 手紙の中での話の展開の仕方は、時に笑いを誘う軽快な語り口調で、やはり太宰ここにありと言った具合で、特に恋の相手「花江さん」とのエピソードが笑えます。

 そして、この愛読者からの手紙だけでも、充分おもしろいのですが、手紙を送られた作家からの返信がこの小説のカギと言えるでしょう。

 少し、長いですが、全て書き出してみます。

 拝復。気取った苦悩ですね。僕は、あまり同情してはいないんですよ。十指の指差すところ、十目の見るところの、いかなる弁明も成立しない醜態を、君はまだ避けているようですね。真の思想は、叡智よりも勇気を必要とするものです。マタイ十章、二八、「身を殺して霊魂をころし得ぬ者どもを懼るな、身と霊魂とをゲヘナにて滅し得る者をおそれよ」この場合の「懼る」は、「畏敬」の意にちかいようです。このイエスの言に、霹靂を感ずる事が出来たら、君の幻聴は止む筈です。不尽。

 この返信の意味ですが、私流に解釈すると、気取った苦悩だね。いかなる弁明も成立しない醜態を演じる事も恐れない気持ちを持たないと駄目だ。知性や常識よりも勇気を持って行動しないといけない。と言っているように思えます。
 また、聖書からの引用の箇所は解釈が二つあって、一つは「何も恐れる事はない、イエスのみを恐れなさい」と言うのと、「身と霊魂とをゲヘナにて滅し得る者=全てを失う事さえも恐れず我が道を行く事こそが尊敬されるべきだ」と言う解釈があると思えます。
 
 私は、はじめてこの小説を読んだ時に、愛読者の手紙がおもしろいなと思うと同時に、愛読者が自分と重なりました。いろんな事に興味を持っては、冷めてしまう自分と似ていたからです。そして、この主人公のように、何か突き抜けたいと思っては行動できずにいたからです。
 
 太宰はこの小説を通して、迷える人達にメッセージを送っていたのかもしれません。いや、きっと私にメッセージを送っていたに違いない・・・うそうそ。

 そんな名作「トカトントン」は新潮社の文庫版「ヴィヨンの妻」に収められています。機会があれば、ぜひご一読ください。
 
 
ヴィヨンの妻 ヴィヨンの妻
太宰 治 (1950/12)
新潮社

この商品の詳細を見る

↓ランキング参加中。クリックしてくれたらうれしい!
にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
テーマ : 紹介したい本
ジャンル : 本・雑誌
書評 太宰治 TB(0) CM(0) 

富嶽百景 太宰治
 「富士の直角、広重の富士は八十五度」から始まる、この「富嶽百景」は太宰治が甲州御坂峠の天下茶屋に滞在した時の事を中心に、師弟関係にあった井伏鱒二氏の事や美知子夫人との再婚までの過程などが描かれています。

 そして、この作品は書かれたのが美知子夫人との再婚後第一作目と言う事もあり、再生への希望と気迫に満ちたほれぼれとする名作に仕上がっています。

 太宰の周りに起こる数々のエピソード、そしてその度に登場する富士山。時に風呂屋のペンキ画のように俗な富士、時に頼もしい大親分のように見える富士、婚約者の後ろに見える富士、月見草と対峙した富士、あいにくの霧で見えない時に茶店の老婆がいつも見える位置に重ねた写真で見る富士などなど・・・出来事と富士の見事な描写が次々と登場し、文章による富士周遊と言った案配です。

 この小説の中では御坂峠の文学碑にも書かれている「富士には、月見草がよく似合う」の一節が特に有名ですが、私が好きな場面は井伏氏と富士に登り、濃い霧の中、岩に腰掛けた井伏氏が「ゆっくり煙草を吸いながら放屁なされた」と言う場面や、富士から降りる前日に東京から来た二人組の女性にシャッターを押してくれと頼まれ、二人組をレンズの中から外し、ただ富士山だけをとらえ、富士山、さようなら、お世話になりました、と撮影し、「はいうつりました」とカメラを渡す場面などです。

 そう言えば、昔、テレビでトヨエツ主演で「太宰治物語」のようなドラマをやった時にも、この「富嶽百景」からの、エピソードがかなり盛り込まれていて、うれしく思った記憶があります。

 言葉の選び方、構成力、そして流れるような文章のテンポ。太宰治の魅力満載の「富嶽百景」。新潮社の「走れメロス」の文庫版などに納められています。機会があればぜひご一読ください。
 

 
走れメロス 走れメロス
太宰 治 (1967/07)
新潮社

この商品の詳細を見る


↓クリックして欲しいなー。
にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
テーマ : 紹介したい本
ジャンル : 本・雑誌
書評 太宰治 TB(0) CM(0) 

駆込み訴え 太宰治
 この「駆込み訴え」は、言わずと知れた「新約聖書」の中のキリストとユダをテーマにした話であり、ユダはキリストの十二弟子の中の一人でしたが、キリストを裏切り、銀三十とひきかえにキリストをパリサイ派に引き渡したとされる人物です。

 そのユダがキリストを裏切る場面を、ユダの中にあるキリストとして太宰独特の視点とユーモアで描いた傑作です。

 多くの物語には、所謂「ベビーフェイス」と「ヒール」が存在しますが、このユダは「新約聖書」の中でも「ヒール」と言うには、少し頼りないと言うか、悪役と言い切れない人物です。十二弟子の中でも、多く登場するわけでもなく、最後の晩餐の途中と裏切りの場面に出て来るくらいなので、商人の子であると言う以外は、際立った個性は露出されていません。

 太宰がこのユダを題材にしたのはなぜでしょうか?。私には、太宰がユダに共感するような部分があったのではないかと思えるのです。「名悪役」と言われる存在感もないが、キリストを裏切ることによって後世まで「裏切り者」として君臨してきたユダに同情やシンパシーを感じたのではないかと思うのです。
 聖書をよく読むと、ユダはキリストを裏切った後に、自責の念に駆られお金を捨て、自殺したとする福音書もあります。また、考え方を変えれば、少し強引ですが、聖書の予言通りにキリストが十字架にかけられるようにしたと言う見方もできなくはありません。

 「駆込み訴え」の中では、ユダの裏切りは、キリストへの愛情と憎悪が背中合わせに存在したからこその行為であり、そのユダの語り口は、ユーモラスで哀愁漂うものです。
 
 私の好きな箇所は、やはり冒頭の「申し上げます。申し上げます。旦那さま。あの人は酷い。酷い。はい。厭な奴です。」です。この畳み掛けるような語り口がたまりません。ここまで読んで、次が読みたくならないわけがないと言った感じです。

 それから最後の「銀三十であいつは売られる。私はちっとも泣いてやしない。私はあの人を愛していない。 −−中略−− 銀、三十なんと素晴らしい。いただきましょう。私はけちな商人です。欲しくてならぬ」の箇所です。私にはユダが泣きながら言っているように感じられて、「ああ、強がるなよ。不器用な男、ユダ・・・」と同情してしまいそうになるのです。

 この「駆込み訴え」は、太宰が一気に喋った事を、夫人が書き留めたとの事ですが、短いとは言え、この小説を一気に喋ったと言う太宰は天才としか言いようがありません。聖書がモチーフだけに精霊が舞い降りたのでは?と下手な冗談が出てしまいます。

 そして、実際に私もそうなのですが、この「駆込み訴え」をきっかけに、聖書を読んだ方も多いのではないでしょうか?。
 太宰は聖書を非常に好んでいたそうで、一人で原稿を書くために旅に出る時などにも常に携行していましたし、「聖書の中には宝箱のように、宝石のような言葉がたくさんちりばめられている」と語っていたそうです。

 そんな「駆込み訴え」は新潮社の「走れメロス」の文庫版などに納められています。機会があればぜひご一読ください。

 
走れメロス 走れメロス
太宰 治 (1967/07)
新潮社

この商品の詳細を見る


↓押してもらえたらうれしいです
にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
書評 太宰治 TB(0) CM(0) 

親友交歓 太宰治
 昭和二十一年、罹災し津軽の生家に避難していた太宰は或る男の訪問を受けます。その男とは幽かに見覚えのある小学校の同級生であったところの平田と言う男でした。その男の「酒はないのか?」「おまえの女房を呼んでお酌させろ」「配給の毛布を俺にくれ」などの厚かましい要求や、男の東京時代の武勇伝などを聞かされる様子などが太宰独特の文体でおもしろおかしく綴られています。

 この太宰曰く見事で、あっぱれで、好いところが一つもみじんも無い親友の姿も、もちろんおかしいのですが、それに対応する太宰自身の相手をあしらえ切れず狼狽し、へどもどする姿や、どこか軽薄でずる賢く冷めた態度が自虐的に描かれていて、そこがまたこの短編の読みどころになっています。

 太宰自身も小説の中で言っているように、この農夫の姿を描き、彼の嫌悪する性格を披露したいのでなく、相手の事を楽しみ愛情を感じているようにも思えます。

 そして別れ際に、この親友が太宰に向かって言う意味深な一言、「威張るな!」。実際に言われたのか、太宰の創作なのかはわかりませんが、この一言はあっぱれと言う他ありません。はじめて読んだときに「やはり太宰は天才だ」とすごくしびれました。

 太宰は落語などから笑いの秘訣を学んだと言いますが、この「威張るな!」には落語的なオチと、笑いだけで終わらせないひねりが含まれています。「威張るな!」この一言を言った相手を、軽蔑しているようであり、苦笑いしているようであり、尊敬しているようでもあります。

 太宰作品の中では、それほど有名ではない作品ですが、すらすら読めるユーモアに満ちたこの「親友交歓」。新潮社の文庫版「ヴィヨンの妻」の中に収められています。機会があれば、ぜひご一読ください。


ヴィヨンの妻 ヴィヨンの妻
太宰 治 (1950/12)
新潮社

この商品の詳細を見る
 
書評 太宰治 TB(0) CM(0) 


PREV PAGE   TOP   NEXT PAGE